2014年6月21日土曜日

佐久間さんとわたし エピソード1

佐久間さんとわたしたちdip in the poolはある時期
歩いて行ける範囲の地域に住んでいました。
佐久間さんは高級住宅街の端。わたしたちはふつう住宅街の端。
交通量の多い大きな通りをはさんでいました。

佐久間さんが長い間一緒に暮らしていた女性と別れた後に
失意の佐久間さんを訪れたことがあります。
佐久間さんは当時、衝動買いしたファルコンという大きな犬を
育てていました。もちろん衝動買いしたのは子犬の時です。

大きい佐久間さんと巨大な白い犬の二人暮らし。

なんだか寂しそう。

グリルでお肉を焼く佐久間さんに
「佐久間さんも料理できるんだ~」と驚くと
「そうだよ、しょっちゅう彼女が外国行ってる人だったから自分でできないと」というようなこと言ってました。

壁に貼ってある何枚かの写真のうちの彼女の写真を見て、
「それ、かわいいでしょ」とか言う佐久間さん。
わたしは、なんだか元気のないまだ未練のある感じ醸し出す佐久間さん
を元気づけるためにも

なんだかハイ・テンションになり
ファルコンとこんなに遊んだことないというくらい
かけまわりました。(あくまで家の中で)
巨大な犬なので、なんだか興奮度合いもすごくて
怪我しないようにけっこう必死でした。

その後、佐久間さんは
寂しいどころか新しい彼女と結婚し
まもなく転居してしまいました。

わたしは、その時「あの、わたしの元気出せのがんばりはなんだったの?
馬鹿じゃない?」と思いました。

そして、たぶんそれからわたしは、無理ながんばりはやめたような気がします。
「わたしの浅い同情のこころよ、さようなら」です。

深いところからの真の行為は後悔することはないですからね。

佐久間さん、ありがとう!
(ございます。)

つづくかも
ちびファルコンが遊んでいるのはわたしのバッグ 11/APRIL/'86


2014年6月16日月曜日

梅酒きた☆

暑気払いにいいですね~(早い?)
ロックにしました。

アルコール飲まない(飲めない)ので
アルコール飲む時は
いつも
いただいたこのプチ杯にてです。

この間ようやく
星野監督    https://www.facebook.com/yuki.hoshino.549?ref=tn_tnmn
の映画撮影初日(自分の)行ってきました。
今のところトータルで半分くらい撮影したらしいです。
いろいろな制限のなか
身軽に制作という感じです。

あと数日どこかで断続的につづく予定です(笑)
また報告しますね。








おばあちゃんの手作り


2014年6月10日火曜日

「走る家」

実家遠いのでよく旅しました。
わたしにとって旅と言えば
単なる帰省かも。

行き帰りが同じルートじゃないのを好むので
さまざまな行き方しています。

多いのは、飛行機
ある時は、フェリー(=車)の日本海ルートと太平洋ルート
ある時は、寝台列車

フェリーは異世界な乗り物です。

はじめて船を見た時は驚きました。
目の前にそびえるのは建物です。
とても移動手段には見えません。

夜の出港を待つ駐車場の車列の雰囲気は独特です。
船積みがあるので集合時間は飛行機よりも早目。
乗船前まで多くの車は無人で整列しています。

時間が来ると
車を船の腹に開いた口に向かって順番に進めます。
船のふところ深く入り込み、驚くほどキチキチに誘導に従って車を停めます。
どこに停めたか忘れるとひどい目にあうので
場所を確認して客室階へ。

実は
苦い経験ありで・・・

出発の際に駐車した階層がわからなくなり
間違ってトラック階層に出てしまい
輪留めをはずしてして大きなエンジン音うならせ準備万端に
居並ぶ大型トラックの列
その狭い通路を
ぜんそくの幼い子供と「え~ッ!?こんなことあり?」と叫びながら
探しまくりました。
ほんと恐ろしかった。
そして係員はまず見当たらない。

あの時はもうひとり
まぬけなお客さん(若い男性)がいたので
少しだけ心の支えだった・・・

・・
船はみんなが一夜を共にするので
乗船客に一体感があります。(と、わたしは感じる)
「自宅?」という感じの
くつろぎようがあちこちで見られます。

非日常な日常

いかつい男性もお風呂に入って
ぽんわり気のぬけた素朴な感じ醸し出しています。

一度
フェリーに乗る前々日くらいに
はじめて
ギックリ腰になり

しかし、ようやくとったすべての予約を
キャンセルできず(性分で)
やむなくおそるおそる車に乗り
新潟港へ。

船内では、たまたま個室を取っていたので
1日(18時間くらいかかる)
ほぼまっすぐの姿勢のまま寝ていました。
そうしたら
小樽に着いた時にはほぼ安心な状態に。

安静にできるあれほどの機会はないなと
思いました。その間、同行の子供はひとりで
お風呂含め船内を満喫していました。
そういう子供で助かりました。


そうです。
最後になりましたが
わたしが「走る家」と書きはじめた理由ですが
寝台列車の「北斗星」がなくなるかもという記事を読んだからです。


「北斗星」の2F寝台に寝ていると
ほぼ空しか見えず
自分の想像の空間を走ることができます。
というより自然と「ここはどこ?」の感覚になります。

時折停車する駅をのぞくと
「あれ?日本の普通の駅だ!」となるのですが・・

あの
部屋が、家が、走る感覚というのは
やはり非日常です。

スピードかゴージャスか・・・
その二者択一はとても残念です。

高級ではなくふつうに寝台列車で旅をするということが
ふつうに好きなんですが
どうにかなりませんかね。


*北斗星の写真探していたら見つけた
昔のこどもの部屋遊び。走らない家ですが
工夫満載。白いのは本来本棚。 
「北斗星」写真はいいのがなかったです。





寄せ集めお部屋。部屋の主は友達作のクマちゃん。



2014年6月2日月曜日

MIYAKO

大人のおしゃれ手帖
「スチール・ライフ」
撮影しました。(7/7発売)

小道具で用意されたバラにつける名前は
MIYAKOでいいですか?と
スタイリストのタンナイさんが何度も
聞いてくれた。

「えっ、名前必要なの?」と聞き返し
いつも
そのたび笑ってごまかしていたが・・・

やっぱり居心地わるし
自分の名前のものを置いて行くのは
気恥ずかし

そのあとに
友達と会った。
友達は外国からのお土産を携えてきてくれた。
それがまた思いがけずMIYAKOと彫られた木のハンコだった!

一日のうちに
このように名前が登場するなんて
あんまりないなと
思った。


そして数日経ったある夜にもまた
気づけば
「MIYAKO」の音を何度も聞いた。
地名なので、最初はピンとこなかった。

そう言えば
高校卒業の時
担任の先生から言葉が贈られた。
メッセージの最後には
ひとりひとりの名前(ファーストネーム)から
はじまる歌が詠んであった。

自分の名前に違和感があったこともあり
どうもピンとこなかったんだけど
なんとなく
その歌のようなことになっていると
思う時がある。

今は手元にないので正確にはわからないが
うたをうたうひと
というようなことが詠まれていたと記憶する。

ほかのひとには
なんて書いてあったんだろう・・・
今度聞いてみよう。

宙に浮いたままですが
また!(文章のことね)








ハンコって好きだ