自分が好きな時に「走れない、歩けない」という
説得力のない言い訳のような
理由で運動外出をしていなかった。
最近
腰が痛くなりそうな感じだったので、いろいろと自己調整しつつ
思いついたのが(思い出したのが)
腰痛に意外にもウォーキング。
昔、買ったがもう履かないであろうと思っていた
軽いスニーカーがあったことを思い出す。
履かないのに持っていた理由はデザインが特徴的で
劣化が少なく、処分する気持ちになれなかったから。
そしてもう履かない、正確には履けない理由に
サイズが合わなくなったということがあった。
長時間歩くのに小さい靴は禁物だ。
あれは確かアイルトン・セナが生きていた頃の鈴鹿F1GPでのこと・・・
・・・・
ともかく道が混むという情報により
私たち一行は帰り最寄り駅まで歩くという選択をした。
2時間だか2時間半だか歩いたことのない距離を
テンションの上がったついでに
走破という道を選んだのだった。
エソ的な事をもたらした靴ね |
茶色の皮のショートブーツだった。
あの時は小さいなんて思ってもいなかったが
あの距離には小さかったのだろう。
しかも、硬すぎたのだろうな。
帰宅して見ると足の親指の爪が死んでいた。
私は壊疽だと騒いだけれども
今も爪があるのだから壊疽ではなかったのだ。
しかし長期間紫色だった・・・
・・・
どのくらい小さかったのか?
ダメもとで
水色に、沈んだ赤のラインのあるそのスニーカーに足を入れてみて
私は気づいた。
靴紐の意味(意義?)に。
この紐の調節で足にフィットするのではないの?と。
いやあ~
うまいこと行きました。
当時はやみくもに
「紐はきつく」と思っていたので
ギューギューに結んでいたのです。
そりゃあ、きつくもなるさ。
そう言えば、やたらと長い紐だ~と迷惑していたのだ。
先の方からゆるめてやると
いい加減に調整できました。
靴の紐ってそういうことのためにあるのか!と
昨夜気づいたのでした。
「紐は、ほどけないようにきつく結ぶ」という
固定(されすぎた)観念。
この
やみくもな行動は
私の生活にはしばしばみうけられるのです。
そして、だいたいが力まかせ。
道理にかなった所作を
ひとつずつ身につけていくのですね。
人間になる過程?