2012年5月15日火曜日

「やみくも」

ランニング用のスニーカーを人に貸していて、
自分が好きな時に「走れない、歩けない」という
説得力のない言い訳のような
理由で運動外出をしていなかった。

最近
腰が痛くなりそうな感じだったので、いろいろと自己調整しつつ
思いついたのが(思い出したのが)
腰痛に意外にもウォーキング。

昔、買ったがもう履かないであろうと思っていた
軽いスニーカーがあったことを思い出す。
履かないのに持っていた理由はデザインが特徴的で
劣化が少なく、処分する気持ちになれなかったから。

そしてもう履かない、正確には履けない理由に
サイズが合わなくなったということがあった。

長時間歩くのに小さい靴は禁物だ。



あれは確かアイルトン・セナが生きていた頃の鈴鹿F1GPでのこと・・・

・・・・

ともかく道が混むという情報により
私たち一行は帰り最寄り駅まで歩くという選択をした。
2時間だか2時間半だか歩いたことのない距離を
テンションの上がったついでに
走破という道を選んだのだった。

エソ的な事をもたらした靴ね
履いていたのは、気に入っていた(そしてまだとってある)
茶色の皮のショートブーツだった。
あの時は小さいなんて思ってもいなかったが
あの距離には小さかったのだろう。
しかも、硬すぎたのだろうな。

帰宅して見ると足の親指の爪が死んでいた。
私は壊疽だと騒いだけれども
今も爪があるのだから壊疽ではなかったのだ。
しかし長期間紫色だった・・・

・・・

どのくらい小さかったのか?
ダメもとで
水色に、沈んだ赤のラインのあるそのスニーカーに足を入れてみて
私は気づいた。
靴紐の意味(意義?)に。

この紐の調節で足にフィットするのではないの?と。


いやあ~
うまいこと行きました。

当時はやみくもに
「紐はきつく」と思っていたので
ギューギューに結んでいたのです。

そりゃあ、きつくもなるさ。
そう言えば、やたらと長い紐だ~と迷惑していたのだ。

先の方からゆるめてやると
いい加減に調整できました。

靴の紐ってそういうことのためにあるのか!と
昨夜気づいたのでした。

「紐は、ほどけないようにきつく結ぶ」という
固定(されすぎた)観念。
この
やみくもな行動は
私の生活にはしばしばみうけられるのです。
そして、だいたいが力まかせ。

道理にかなった所作を
ひとつずつ身につけていくのですね。

人間になる過程?